押入れに上半身を突っ込み、明かりもよく届かない中で僕は30分程格闘していた。
今ここで押し込み強盗なんか来たら確実に太刀打ち出来ないな、と考えてふと笑いが洩れる。それよりも、妙な格好のままガサガサしている今の僕のほうが余程強盗みたいだ。
久しぶりに店休日のこの日を使って衣替えをしようと企んでいたのだが、さすがに大事な体のミサにはこんな作業をさせられないので僕は黙々と作業を進めていた。
先ほど彼女は検診へと出かけていった。もちろん、出かける前にひとしきり僕に絡み付いてくるのをわすれなかったので、その様子を思い出して苦笑してしまう。
僕の服やら何やらが入った透明のケースを引っ張り出して蓋を開けると、独特の湿った匂いがした。でも僕はこの匂いが嫌いじゃない。あいつも、こんな匂いのする服を頓着しないままによく着ていた。
とりあえず、長袖のシャツと厚手のボトムやカーディガン等を揃える。もう一枚、と思って手を伸ばすとその下に隠れていた一枚の派手なTシャツが現れた。原色を惜しみなく使ったそれは、表の部分にデカデカとこれを購入した温泉地の名称が書かれている。
「こんなの誰が着るんですか。月くんも顔負けの趣味の悪さですよ。」
心底嫌そうに眉を歪めて吐き出した彼の様子がよみがえり、口元に浮かぶ笑いを隠せなかった。
***
「思ったよりも、静かなんですね。」
口から白い息を吐き出しながら隣の男が呟く。首には僕が無理矢理に巻いてやった黒いマフラー。その黒さが余計に彼の肌の白さを際立たせている気がして、その思ったよりも滑らかな肌から僕は思わず顔を逸らした。
年中発情期なんですね。
なんて台詞、もう一回言われたら正直かなり落ち込むし、恥ずかしい。
「お前のことだから、人であふれかえった温泉街なんて嫌いだろう?」
「もちろんです。行列が出来そうなくらい込み合った土産物屋なんて、想像しただけで殴りたくなります。」
物騒な物言いに苦笑いしながら、それでもどこか楽しそうな彼の様子を見て少し安心した。
どうにかこうにか一緒に暮らし始めた僕らだったが、日ごろは店もあるのでなかなかゆっくりなんて出来ない。
最近少し疲れが溜まっているようにも見えた竜崎をどこかに連れ出したくて、無理に店を休みにしてこうして一泊の温泉旅行へとやってきた。
元々が温暖な気候の為か雪が降る気配はないけれど、それでもかなり寒い。ショート丈のコートのポケットに突っ込んだままの僕の手をやや強引に彼が引っ張り出す。
「、何だよ。どうしたの、珍しい。」
「人もいないことですし、まあいいじゃないですか。強引さは別に月くんだけの特権じゃないですよ。」
目を少しだけ細めて笑う彼の顔はひどく穏やかだった。指と指を絡めて握るいわゆる「恋人繋ぎ」ではなく、ごく自然に緩く結ばれた手と手。毎日の水仕事にもかかわらず、かさついてもいないその掌は外気と同じように冷えていた。
結構な坂道になった道路の両脇には、食べ物から民芸品、様々な商品の並ぶ土産物屋が軒を連ねる。
「ねえ、何か買っていこうか。」
僕より半歩遅れ気味の竜崎の手を引き話しかける。
「もう買い物するんですか?まだ一日目ですよ。普通は帰りに買うものじゃないんですか?」
荷物増えちゃいますよ、と少し口を尖らせてしゃべるその様子が可笑しい。
「いいだろ、別に。これだけ店があって、入らないほうがおかしい。ほら、行くぞ。」
まだ何か言いたげな彼をぐい、と引くと少し大股で僕の隣に並んだ。
彼が動く度に、髪から仄かに甘い香りがして、僕はまた色々な衝動を押さえ込むのに必死になる。
・・・何か高校生みたいで自分が嫌になるな。
一軒の店に入る前に、彼がさりげなく僕から手を離す。その一連の動作があまりにも自然で、少し切なくなった。別に、僕なら気にしないのだけれど。
でもここで強引に彼の手を再び繋げば、少しだけ困ったように彼が笑うのが想像できるので、それは止めておく。どうせ笑うなら、彼にはそんな顔で笑って欲しくない。
さっさと店の中に入っていく彼は、既に店内を物色しているようできょろきょろと周囲を見回している。・・・それじゃあお前のほうが珍獣みたいだよ。
何やら小さな箱のようなものを手に取った彼の隣に、店員らしき女性が並ぶ。どうやら商品の説明を受けているようだった。僕はそのよくある光景を目にして少し固まってしまった。
やや猫背気味ではあるものの、元々が長身の竜崎の隣に一般的な女性が並ぶと、意外なことにすんなりと当てはまってしまうことに気付いた。少し見上げるようにして竜崎に話しかける女性と、同じく少しだけ姿勢を低くするように女性の話に耳を傾ける竜崎。
ひどく馬鹿馬鹿しいことだと分かっているのに、目の前の違和感のなさに僕はただその場に立っていることしか出来なかった。
気付くと、小さく竜崎が女性にお礼を言って僕のところへ戻ってくるのが見えた。そのまま、二人でその店を出る。
「・・・買わなくて良かったのか?」
努めて冷静に話しかける。
「ええ、特に欲しいものでもありませんでしたしね。それに、」
再び竜崎が僕の手を握る。
「月くんがあんな夜叉みたいな顔してたら、買えませんよ。」
その言葉に、少しだけ俯いていた顔を思わず上げて彼を見る。
「冗談です、そんな顔しないで下さい。面白いです。」
彼は、心底楽しそうに笑った。
その後結局、冷やかしで入った一軒の店でド派手なTシャツを洒落で購入して、僕らは宿へと向かった。
「しかし、贅沢しちゃいましたね。」
浴衣を着たままの格好で、湯に足をつけた竜崎がぽつりと漏らした。
確かに、彼の言うとおりだ。ここは離れで、しかも夕食も部屋食、小さいながらも雰囲気のある岩風呂付きの部屋なのだ。そりゃあ、料金だってそこそこ値の張るものだ。
でも敢えて、僕は旅館にはこだわった。それには僕なりの理由があったからだ。
まだちゃぷちゃぷと湯と戯れている竜崎を、背中から抱きしめる。
「・・・その分、帰ったらしっかり働くよ。」
彼の肩に頭を埋めて僕は呟く。
すると、彼がくすりと笑う。
「違います、別にそんなこと言ってるわけじゃないですよ?ただ、少し恥ずかしかっただけです。」
恥ずかしい?
不思議に思って、僕は顔を上げた。
夜空に浮かんだ月を見るように、竜崎が視線を上げる。瞬間、先程の夕食で飲んだお酒の香りが彼から漂ってくる。子供みたいな甘い匂いをさせているかと思えば、今みたいな大人の空気を纏うこともある。時折見せる極端なまでの彼の側面に、僕はくらりとした。
柔らかい黒髪を掻き分けて、小さく形の良い耳に僕は口を近づける。
「・・・何が、恥ずかしかったの?」
意図的に、息の分量を多く含ませてその耳元で囁く。
「だってこれじゃあまるで、」
少しくすぐったそうに彼がその身を捩る。
「まるで、何?」
「新婚旅行みたいじゃないですか。」
その言葉に、彼の浴衣の袷へと伸ばしていた手の動きが止まってしまった。
こいつ。
いつだって的確に僕の考えや行動を見抜くその性格や性質を、今ほど恨めしく思ったことはない。
黙ってしまった僕をいぶかしむ様に振り向くと、にやりと笑う。
「・・・もしかして、図星でした?」
「・・・そうだよ。」
自分でも、ぶすくれた子供のような声になっているのが分かるが、構うものか。どうにでもなれ。
世間的には「結婚」なんて形をとることが出来なくても、僕は構わないし竜崎もその気持ちは変わらないと思う。でも、だからこそ余計に普通の夫婦がするのと同じ事を、僕も彼にしてやりたかった。
それを彼が望もうと望むまいと、きっとこれからも僕はそれを続けるだろうと思う。
むくれてしまった僕を宥めるように、彼の骨ばった指が僕の頭を撫でる。
「そんなに拗ねないでくださいよ。はい、いい子いい子。」
「あのなあ、そういう態度が余計に僕を拗ねさせるんだよ。」
「でも私は嬉しかったです。」
ゆっくりと彼がその指を僕の頭から外す。
「連れてきてくれて有難うございました、月くん。」
だからさ。
そういうのが、たまらなくずるいんだよな。
そういうのが、たまらなく、僕を。
穏やかに微笑む彼の顔に、自らの顔を近づける。
「・・・月くん、」
後僅かで唇が触れそうになったその時に、彼が僕の名を呼ぶ。
「・・・何だよ、」
「顔、また発情期になってます。」
そう言って、竜崎は僕の後頭部に手を伸ばし、自ら引き寄せて唇を重ねた。
・・・こいつ。絶対今晩泣かす。
***
近所の郵便屋のバイクの音で、僕は現実へと引き戻される。
あの後、心の中の予告どおり散々泣かせたせいで、翌朝戻りの列車に乗るまで口を利いてくれなかったことも思い出す。
竜崎、また今度出てきた時は、あの時の話でもしようか。
僕はTシャツをハンガーにかけて、仏壇の横に掛ける。
「今度出てきた時は、これ着せてやるよ。」
竜崎の写真に向かって僕は笑いかける。
心なしか、写真立てが傾いたような気がした。
(end)
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hamkem様のご好意に甘えて、うちの「居酒屋竜崎」でお話を書いていただきました。
ううう(涙)うちの居酒屋の二人はもう死んでるところから話を始めてしまったので、結婚式も新婚旅行も無かったんです。hamkem様のお力で二人はめでたく新婚旅行を遂げました〜〜vv
竜崎にはやっぱり敵わない月君がかわいらしいです。若さで押せ押せ、月君ファイト!笑。でも帰りに口を利いてくれなかった竜崎さん。こういう子供っぽい所と妙に大人な所が絶妙なお話で、もうもうもう、ヤラレマシタ。
本当に素敵なお話をありがとうございました!!普段L月作家様ですのに、月L描かせてしまってすみません;でも楽しんでくださったとのことで安心しております;;;