*****過福論*****
 
 
 
「あなたは誰かが幸せであればいいのにと願ったことありませんか?」
 

竜崎が、今出てきたばかりのシャワールームの扉の前で佇んだままふと、そんなことを言った。
 
体力と集中力の限界まで捜査をして、二人並んでシャワーを浴び、服を着替えてベッドで眠る。
それが僕たちの日常だった。
ベッドに腰掛けシャワーで濡れた髪を乾かすため、あたまに被せたタオルを動かすたびに左手首に繋がった鎖がかちゃかちゃと音を奏でる。
男同士24時間手錠でつながり生活する・・・そんなありえないことを日常と言えるくらいにはこの生活にも慣れた。
 

だけど、竜崎が唐突にそんなことを言うのは初めてだった。僕を見つめる黒水晶の瞳の奥にある感情が読めなくて、僕は眉を顰めた。
 

昼間交わした会話が、あたまのなかに甦る。
 

『僕が、今存在するキラを捕まえた後でキラになると思うか?そんな人間に見えるのか?』
『思います 見えます』
 

あのとき、僕を見た貫くような視線と同じ目をして竜崎が言葉を続けた。
 

「今日、弥海砂は、月くんのためなら喜んで死ねると言っていました」
 

確かにそう言っていた。ヨツバキラを捕まえるのが僕の望みなら協力すると。
僕がいくら危ないととめても聞く耳をもたなかった海砂。
 

「竜崎、ミサがいくら命を投げ出す覚悟でも、僕はミサを死なせるつもりはない」
 

どうして、竜崎が突然そんなことを言い出したのかわからないが、ミサの命を危険に晒すことへの承諾なら、牽制しておいた方がいいだろうと放った僕の言葉を竜崎はニヤリと笑って受け止めた。
 

「海砂さんを死なせてもいいか聞きたいわけではありません。
ただ、私なら月くんのために喜んで死ぬなどとは言えないと思っただけです」
 

それはそうだろう。
竜崎が、Lが、誰かのために喜んで命を差し出すなどありえない。
それに、この男は僕が知る限りしぶとく、ある意味狡猾だ。
たとえ、命を危険に晒す状況になったとしても生き延びることを第一に考えるだろう。
いや、竜崎だって、よほど大切な誰かのためならあるいは・・・とそこまで考えをめぐらせて、なんだかおかしくなった。
この竜崎に、自らの命を顧みないほどの誰かがいるなんて想像がつかなかったから。
思わず笑みを刻んだ僕に、竜崎が言葉を続けた。
 

「けれど ―― 」
 

竜崎が一端言葉を止めて、大きく息を吐き出す。
シャワールームの扉に背を凭せ掛けると、濡れたままの髪から水滴が竜崎の頬を伝って落ちた。
次に続く声はひどくゆっくりと僕の耳に届いた。
 

「けれど、私はあなたが幸せであればいいと思っています」
 

唐突に何を言うんだとからかう前に竜崎がまた口をひらいた。
 

「私はいつも祈ってます。あなたが幸せであればいい、たとえ、私がいなくなっても」
 

竜崎の表情はいつものように飄々としていて掴み所がなく、特別なことを言っている雰囲気ではまるでなかった。強いて言うなら、友人とたわいもない会話をしているそんなありふれた雰囲気。
だから僕は気にすることもなかった。
 

「昼間の続きか?Lを継ぐことなどないって言ってるだろう」
 

僕は髪を拭っていたタオルを、そんなことより髪を拭けよと、竜崎めがけて投げてやった。
竜崎は器用に親指と人差し指でタオルをキャッチすると、タオルの端を摘んだまま目の高さまで持ち上げる。
 
 
 
「いや、いっそ 不幸のどんぞこに落ちてくれてもいい」
 
 
 
タオルを見つめながら、正反対のことを竜崎は呟く。
またわけのわからないことを・・・。眉をひそめた僕の目の前でタオルがはらりと床へと落ちていく。
タオルが落ちたことも気がつかないかのように、竜崎の視線はさっきタオルを持ち上げた位置からまっすぐ動かなかった。
 
 
 
「あなたの言うことに誰も耳を貸さず、誰も受け入れてくれない。
すべての人間に信用されなくなって、ぼろぼろに打ちひしがれて、泣くことすら許されない状態になったときこそ、私があなたをこんなにも想っていることがあたたかく身に染みていくでしょう」
 

ずいぶんエゴイストな考え方ですが・・・とボソリ呟いた竜崎が、腰をかがめて落ちたタオルを拾う。
下を向いた彼の表情はまるで見えなかった。
突拍子のない竜崎の言葉がおかしくて、とうとう僕は吹き出した。
 

「優等生の僕がそんな状態になるなんて、あるわけないだろ」
 

クックと笑う僕に、タオルを摘んだ竜崎がいつもより腰をかがめて大股で一歩僕に近づいた。
風呂上りなのにジーンズを履いたままの竜崎の一歩は、とても大きくて、手錠のせいでもとからさほど離れることはできなかった僕らの距離が一気に縮まる。
そう、顔をあげた竜崎の目がすぐ近くにあるほどに。
 

視線が絡まったのは一瞬。
 

竜崎が、拾った紺色のタオルを僕の胸元に押し付けた。髪を拭いてもないくせに。
りゅうざき・・・と嗜めようとする前に竜崎が口を開いた。
 

「月くん 自分が信じた道を進んでください。その先できっと私が待っています」
 

言葉の意味を理解する間もなく、僕のシャツの胸元がタオルごと引き寄せられた。見開いた目に、竜崎の漆黒が近づいて、それはすぐにただの黒に塗りつぶされた。焦点が合わないほどの距離に驚くより早く、唇にあたたかな感触がやわらかく当った。
またたくまに、離されたそれは、確かに竜崎の唇だった。
 

「なに、するの・・・?」
 

一気に喉の奥の水がすべて蒸発したみたいだ。だから乾いた声しかでなかった。
あっけにとられた僕の反応に満足したのか、今度は竜崎が楽しそうにわらった。
竜崎のまっ平らな親指の腹でなぞった唇がにんまりと弧を描く。
 

「ふふ、おまじないです。いつか離れてもまた会えるようにと。
まさかはじめてじゃないでしょう?」
 

それが、今されたキスのことを指しているんだと気がついて、僕は、少し悔しくなった。
濡れた髪をまともに拭くこともできないガキのくせにわけのわからないことを言うなと、僕は竜崎のあたまを掴むとタオルで力任せにごしごしと髪の毛を擦った。
 

「痛い、いたいです。月くんっ」
 

タオルごしに暴れる竜崎のぬくもりがやけにおかしくて、僕らはじゃれあった。
 

ふたりで過ごす時間なんて、幻のようにあっという間に溶けていくのに。
胸のそこでちくりと刺さった何かを抜けないまま、僕はそれから長い歳月を過ごすことになる。
 
 
 
 
 
 
 
 
手が痛い。足が痛い。僕は、どうなるんだ。
 

死ぬ あと数秒で・・・ いやだ 死にたくない 死にたくない 死にたくない
 
 
 
  ―― あなたの不幸を願うほどに、私はあなたのことを愛していますよ、
 ―― あなたは、なくさないとわからないから
 
 
 
どうして、今、そんなことを、思い出すんだろう。
もう何年も、消えていたのに。
長い間思い出さないようにしていたのに。
こんなときに、呼ぶのが、お前の名前だなんて。
こんな瀬戸際に、会いたいと思うのがお前だけだなんて。
 

ちくしょう。
 

 ―― きっと私が待っています
 

待ってろよ。竜崎。
 
もはや声にならない声でそう呟いたとき、あのとき触れた唇が、ぼんやりとあったかくなっていった。
 



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hana-zono:のん様


竜崎さんの独占欲と深い愛が伝わってくるような素敵な作品です。あなたが幸せであればいい・・・・
たとえ自分がいなくなっても。この部分に秘められたLの思いに胸が苦しくなります。
月君が真意に気付くのはずっと後だけれど、見えない所で繋がりあう二人の強さを感じます。愛!!

しっとりした雰囲気の中に、触れるだけのキスや頭ゴシゴシ・・・・・・萌えポイント抜かりなし!流石ですv
素敵なお話をありがとうございました〜〜vv